vol.12 絵で応援し続ける画家 ながさわたかひろさん

2025.01.15 投稿
町田に暮らす、さまざまな方の町田話を集める『まちトーク』。
第12回は、町田在住の画家、ながさわたかひろさんにお話を伺いました。
早速ですが、ながさわさんの経歴と町田とのつながりを教えてくださいますか?

山形の東根市出身で、武蔵野美術大学に通うために東京に出てきました。版画を専攻したので、町田の国際版画美術館を知りました。国際版画美術館では年に一度、大学版画展という全国の大学で版画を勉強している学生の選抜展みたいなのをやっていました。それを見るために学生のときは年に1回は必ず町田に来ていました。版画を勉強している人たちにとっては、町田の国際版画美術館と言うのは大きい存在だったんです。あそこで展示するというのが、一つの目標というような感じがありました。

そうなんですね。現在は町田在住ということですが、そのきっかけは?

ゼルビアを描くためです。2016年に町田の国際版画美術館から2017年に展示する展覧会の話がありました。それまでは野球の試合を描いていたんですが、町田にある市立美術館ですから何を描こうかと思っていたところ町田にJリークのチームがあることを初めて知りました。それでゼルビアを2016年シーズンの後半から見始めました。クラブにも取材をさせてほしいと言ったら了承を得られたので。

なるほど。ゼルビアがきっかけなんですね。

はい。いきなりゼルビアを描いてます、 展覧会をやりますって言っても、 それはゼルビアのファンやサポーターからしたら、なんだよってことじゃないですか。それはいけないと思って、町田市民であれば市民として応援してますっていうことになりますし。それで引っ越してきたんです。

すごいフットワークの軽さですね。

やっぱりそういうところから始めないと。というのも、 ヤクルトを描いているときは、 小平市にいて球場に通えていたんです。でも、千葉ロッテを描くってなった時に、小平市から通っていたんですけど、千葉までは以前ほど通えなくなっちゃったんです。 やっぱり試合を見にいけない環境に身をおいてちゃいけないって思っていたこともありましたね。

現場の感覚を体感するようなことなんでしょうか。

そうですね。なるべくスタジアムに近く、あとは練習場を見たいってのもありました。

ゼルビアの練習場も行かれてたんですか?

行きました。 当時は小野路にある市のグラウンドで練習していて、見ている人は10人とか少人数でした。あの感じも良かったです。選手とも普通に話せる雰囲気で、これはすごいなと思いました。

小野路での練習も懐かしいですね。ところで、ながさわさんはスポーツを題材にされますがスポーツはずっとお好きだったんですか?

スポーツはね、好きではあるんですけど あんまり得意ではないっていう感じですね。やりたいんだけどレギュラーになれないっていうか。

今までどんなスポーツをされたんですか?

小学校の時は 野球をやっていました。 バスケットボールもやってた時期もあって中学の時は球技はやっぱりダメなんだなと思ったから柔道をやりました。高校でサッカー部に入ったんですが練習についていけず10日だか半月だか、そんなもんでやめちゃいました。本当についていけなかったんです。

そうでしたか。その後は何かされたんですか?

これはスポーツなだめなんだなと思って美術部に行っちゃいました。

それが今につながっているんですね。美術部に入ってから仕事になるまではどんな流れがあったのですか?

東京に行きたい気持ちがあって、それには大学にでも入らないといけないなと思って美大受験をするんです。 美大っていうのは半分は実技なのでなんとかなるんじゃないかなって思いました。

それで入学されたのが名門の武蔵野美術大学。何を専攻されたのですか?

油絵学科に入ったんですけど、その中の版画コースにいき、銅版画を専攻しました。銅版画は単色なので色の問題から解放されるわけです。油絵学科で一番苦労したのが 色の問題だったのです。

大学を出るときには色んな選択肢があると思うのですが、どのような道を選ばれたんですか?

銅版画の面白さって言うのを知ってしまい、大学院にそのまま上がってまた勉強して、大学院が終わってもまだ研究室にいました。2、3年でしょうか。研究室では多少お金もでたので。

ずっと銅版画を続けていらしたんですね。

そうです。大学出てからもそのまま活動しますが、なかなか食べられないので色んなところで講師の仕事をしていました。

美術の講師のお仕事ですか?

はい。中学や高校の美術、専門学校などいろいろ行きました。話があるとやるという感じで10年くらい続きました。

その間に 色んな作品を作られていたのですか?

はい。作品も当時は割と抽象的なもので専門的に勉強している人や評価筋からの評価はあっても、一般受けしなかったんです。それで30歳くらいのときに具体的なものを描こうと思いました。

きっかけはなんだったんでしょうか。

野村克也さんが楽天の監督になったことです。楽天イーグルス が誕生して2年目で、東北出身の僕にとっては東北に球団ができるというのはすごい喜びでした。当時、小平に住んでいたので西武球場に楽天がくる時には試合を見に行ってたんです。野村監督が就任会見の時に『3年でこのチームをV9時代の巨人のようにする』ということを言ったんです。そこで自分も3年間で具体的なものを描けるようになろうと思いました。ここから毎日、野村楽天の試合を見ながら 描けない自分と向き合っていくという生活をスタートさせました。

修行のようですね。何年くらい楽天を描いていたんですか?

野村監督がいた4シーズンです。

具体的なものを描く、という目的は達成できたのでしょうか

4年目に全部の試合を銅版画で残して版画集を作ることにしました。自分も一緒に戦う気持ちでした。最終的にクライマックスシリーズまで書いたら、野村監督の背番号である19枚になって結果も2位と球団ができてから一番の成績になったんです。そこで フィニッシュできたことは美術作品の力を感じました。またそこに至るやりとりも作品として成立すると思ったので翌年の岡本太郎現代芸術賞に出品しました。その19枚をだーっと横に並べると 7メートルくらいあるのですが、銅版画って線画なんで一見なにがなんだか分かんない細かいものが 7メートル並ぶとなかなかすごいんです。写経のようだという人も大勢いました。その写経のようなものの最後が野村監督の言葉で終わり、その作品で特別賞をいただくことができて一つの形になって良かったなと思いました。

ここに至るやりとりというのは、野村監督とのやりとりがおありだったのでしょうか?

野村監督の楽天を見て絵にして発表するということをしていたのですが、もう一つ「に・褒められたくて」っていうシリーズを描いていました。これは書籍化もしています。(http://www.amazon.co.jp/dp/4990610547)自分の憧れの人に会いに行って描く了承をいただいて書いて、完成したものを見せにまた会いに行き、感想やサインをもらうということで、その人に自分の気持ちを絵で伝えるシリーズです。最初に野村監督を描いたものには、人生訓の言葉を書いてもらったんですが、「人生が変わる」で結ばれるはずの一文が書かれていなくて。これは、まだ終わるわけにはいかないと思って、最後の年の版画集を作り、それを持ってノムさんに会いに行ったんです。 そこに 書いてくれたのが 「人生は自分探しの長い旅 野村克也」って書いてくれたんですよ。最初に書いてもらった時にはなかった「人生」と言う言葉がここに出てきたのでフィニッシュできたと思ったんです。

そのようなやりとりがあったのですね。楽天を4年描いてその後は?

野村監督がいない楽天に居続けることはできないと思ったので僕も楽天から離れることにしました。やってることをもっと深く掘り下げていきたいっていう気持ちもあったので、楽天1年目のドラフト一位だった一場靖弘選手というピッチャーがいて、彼の成長と自分を重ねていたこともあり、トレード先のヤクルトを追いかけようと決めました。それで、この活動についてヤクルトの球団事務所にお願いしに行って了承いただいて描くことになりました。

それが2010年のシーズンですか。どのくらい描かれたんですか?

全部で6シーズンです。銅版画、シルクスクリーンと手法を変えながら1,2年目を描きました。ただ版画は時間がかかる手法なので、そのかかる時間を絵を描くという一つにポイントを集約させたほうがいいと思ってヤクルトでの3年目から現在のような絵にしました。最初は1枚の紙に3試合書いていましたが、2013年から1試合1枚で描くようにしました。この形になって3年目の2015年に優勝したんです。この年は、少しずついろんなメディアで取り上げられるようになって 、シーズンシートを用意してくれる媒体があったり、ユニフォームを提供いただいたりと、活動がやりやすくなっていましたが、いろいろな出来事がありシーズン前から最後の1年と決めていたんです。その最後の年に優勝できたんです。

最後に優勝とは素晴らしい体験ですね!その後はどうされたのですか?

はい。もうヤクルトから離れることは決めていたので、他の球団いくつかに声をかけました。その中でロッテさんが面白いと言ってくれたので2016年はロッテを書くことになりました。当然1年間書きましたが、そのシーズンの途中で町田の版画美術館から展覧会のオファーがありました。

ここで最初の話につながるのですね。 2016年はそうすると、ロッテを書きながら後半からは町田も描かれたのでしょうか ?

2016年は町田はまだ見てるだけです。 サッカーを見るという習慣もなかったので。そして2017年1月だったか、16年の年末だったかに町田に引っ越しました。

サッカーはどうでしたか? 見た時。

野球をやっている時は優勝という目標があったわけです。当然サッカーでも優勝だろうと思っていました。でも実際に見始めるとチーム数も多いから、野球で優勝するのとはわけが違うって思いました。数年見ている間にどうやらサッカーというのは経済力の無いチームは優勝できないなって思いましたね。でもそんな気持ちで続けていたらお金のあるチームになってきて優勝しちゃいました(笑)

本当に驚くような変化ですよね!ところで1試合分を書くのにどれくらいの時間がかかるんですか?どんな工程で書かれるのか興味があります。

だいたい半日くらいかかります。 試合でどこを描くかポイントを絞っていきますが、選手同士重なっていることもよくありわからないシーンが多くて何度もDAZNとかで 繰り返し見ながら描くポイントを決めます。ここにすっごい時間がかかるんです。ポイントの絞り方っていうのは未だにちょっとズレてんなーって思うこともあります。

難しいでしょうね。

どういうふうに書くかというのは、書くのも1枚の絵にどういうふうに誰をどう描こうか当たりをつけてから書くんですけどそれも時間がかかるんです。 一試合の中で全員かけるわけでもないので。

ペンで書いて着色する形ですか?

そうですね。ペンで書いて色鉛筆で着色します。

色鉛筆なのですね、マーカー的なものでない理由はあるのでしょうか?

そうですね 一番手っ取り早いからです。水彩画とかになってくると まだ準備したりとかもあるし 色鉛筆はほんとさっと取って塗れるので。あとは、自分の癖なんでしょうけど抵抗感がないと書いてる気がしないんです。グリグリ書かないとやってる気しなくて。気持ち込めて応援してるって感じも出ると思うので。

気持ちがこめられているのが伝わってくる気がします。ところで最近山形も書かれてますが、やっぱり元々のご出身っていうことも関係あるのでしょうか?

4、5年前からなんですけど山形で展覧会をやる機会があったり東北芸術工科大学に呼ばれることもあったりと、行く機会が増えてきました。山形新聞にコラムのような連載も持ってるんです。それで、ゼルビアも優勝してJ1に昇格したので山形のサッカーチームを書いてみるのも面白いかもしれないなと思って。カテゴリーも違いますし。

なるほど。これは続けられるのですか?

そうですね。町田でも配布しているその年の在籍選手のポスターを山形でも作成したのですが、クラブと話して入場者プレゼントとして1万2000枚配れたんです。こうなると山形から離れられないなと思っています。

1万2000枚はすごいです。そうなると続けるしかなくなりますね!町田もこれからもぜひ書いてくださいね。


12月には パリオでパリコレッ!ギャラリー vol.33 ながさわたかひろ個展「顔、顔、顔」が開催されました。「に・褒められたくて」の肖像画バージョンの「愛の肖像画」シリーズと、コロナ禍に陰影のない描き方でその日のニュースや個人的トピックから1人選んで描くことに挑戦されたという「1,000人の肖像 [ウィズコロナの肖像]」、そして「サッカーJ画報 [ゼルビア編]」が展示されました。「1,000人の肖像 [ウィズコロナの肖像]」は圧巻でした!

よく似ていると言ってもらえますが、中には似てねーっていうのもあるんです。そういう声が聞こえてくるのもまた面白いなと思っています。



こちらの本も展覧会で販売されていました。愛の肖像画とこのウィズコロナの肖像が全部掲載されていて見応えありです!ながさわさんからの展示会についてのコメントをいただきました。

今年の町田ゼルビアの活動の記録で振り返ったり、コロナ禍を過ごしてきた人は当時を思い出すような場として楽しんで、愛の象像画の人とのやり取りの中で 作品ができていく過程みたいなのも追体験してもらえていたらいいなと思っています。


展示会も素晴らしくゼルビアも肖像も楽しませていただきました。ながさわさん、ありがとうございました!

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